【誰でも神プレイできるシューティングゲーム】から得られる知見
いつもお世話になっております、渡辺です。
今回は、
「誰でも神プレイできるシューティングゲーム」
とやらを紹介します。
誰でも?神プレイ?と非常に胡散臭いテーマを持ったシューティングゲーム。
いったいどういう意味合いを持つのかに興味をそそられますね。
こちらのゲーム、日本最大のゲーム開発者会議「CEDEC 2014」で出展されたものであり、出展者は,ユニティ・テクノロジーズ・ジャパン合同会社の簗瀬洋平氏である。
まずはプレイ動画をみていただきたい。
ゲームとしてはいたってシンプルで,
自機(画面下部にあるグレーの四角形)を左右に移動して,敵(画面上部の紫色のバー)が放つ水色の弾を避けながら,緑色のカプセルを取ってスコアを稼ぐ。ただ,それだけである。
しかしこのゲーム、やってみればわかるのだが非常に難しい。
緑のカプセルを3つ取れれば上出来なくらいで、腕の立つゲーマーでも4つくらいが限界である。
上のプレイ動画をみてもらえればわかると思うが、後半になるにつれてプレイヤーの腕が上がっているように思われる。
もちろん,これにはトリックがある。
このゲームは,自機がやられるたびに見かけの難度を維持したまま,
実際の難度は下がっているという仕組みとなっている。
自機が破壊されるたびにゲームの実際の難易度は下がるため、3回目にはまるで自分が神プレイヤーになったかのようにプレイできる!!
見かけの難易度と実際の難易度にギャップがあるため、すぐに難易度に変化が現れると、プレイヤーが悟ってしまう。
そのため、
簗瀬氏は「実際にはもっと細かく,多段階的に難度を変えていくべき」と指摘する。
こういった改善を加えていくと、プレイヤーはあたかも自分の技量が上がっていくかのような錯覚に陥るんです。
実は、こういった過程が日常生活に応用できるんです
ゲームの難易度が非常に高いと認識できる課題に対して、自分ができると感じることがいわゆる ”成功体験”となってついてくるんです。
これ、課題自体が簡単すぎたら意味ないですよね。誰でもできるんですから。
でも、まるで自分の技量が上がったかのように感じる中で、課題に挑むことができる場合、おそらく吸収力は大幅に上がるとおもいます。
ここで重要なのは”錯覚”なんです。
自転車の補助輪なんかは有名ですよね。
自分が自転車を乗れるという成功体験を感じることで、自転車に乗れるようになる。
このようにゲームが日常生活にリンクするのは非常に面白い。
今日はここまで、ありがとうございました!